泉大津を知る

市の生い立ち

大津の地名は、古くから随筆や紀行の中で、小津の泊、小津の松原、大津の浦などと記され、名称の地として知られていました。土佐日記の中でも、紀貫之が「池戸なあお生きやられぬは妹がうむ小津の浦なる岸の松原」と記しています。
明治22年4月1日、市町村制の施行によりそれまでの17か村が大津村、穴師村、上條村に統合され、和泉郡の所属となりました。その後、大津村は大正4年4月1日に町制を施行して大津町と改称し、昭和6年8月20日に穴師・上條村を合併したのち、昭和17年4月1日に市制を施行(府下7番目)、泉大津市と改称して今日に至っています。
アクセス

鉄道
市内に3駅、快適にアクセス
南海本線「北助松駅」「松ノ浜」「泉大津」の3つの駅があり、わずか20分で難波、関西国際空港にアクセス。快適で市民の足となっています。
車
大阪市内まで30分
高速道路の出入口が2か所あり、大阪市内へは約30分、和歌山へは約40分。神戸や京都へも1時間前後で行くことができます。
船
長距離フェリーも運行中
泉大津港と北九州・新門司港を結ぶ、長距離フェリーが運航し、紀州への玄関口になっています。
市を代表する毛布産業「日本一の毛布のまち」
始まりは、真田幸村
17世紀ごろから、泉州は全国有数の綿作地として知られており、大津村では綿の生産から加工まで手掛けていたようです。「真田幸村が考案し、後藤又兵衛が当地に伝えた」という伝承が残る真田紐が特産品となり、その技術が、のちの毛布産業が興る素地を作ったと言われています。
日本一の毛布のまち
真田紐や縞木綿を織る技術が下地となり、1887年(明治20年)年ごろ、泉大津市でも毛布生産がスタートしました。現在、その生産量は全国シェアの約90%を誇り、まさしく「日本一の毛布のまち」となっています。綿・ウール・カシミヤ・シルク・アクリルなど豊富な種類の毛布が作られ、四季を通じてさまざまなシーンで快適に使えるようになり、世界中の人に安らぎと温かさを届けられるよう、時代とともに歩みを進めていきます。
- みなさまのご意見をお聞かせください
-
当フォームは、返信不可能のため、ご質問にはお答えすることができません。
更新日:2023年08月01日