助松町(すけまつちょう)

更新日:2023年08月01日

助松村は、江戸期~明治の村名。明治22年合併、上条村の大字となる。昭和6年大津町の大字、昭和17年泉大津市の大字となる。明治8年戸数182戸、人口879人。

本地は、古来和泉郡に属し、もと上条郷にあり助松村と称する。応永3(1396)年の史料には「助松三郎左衛門尉正家」、応永7(1400)年、高野山文書にすでに助松が金剛峰寺宝生院領であったことが散見できる。

地内字蓮正寺に浄土真宗大谷派の蓮正寺がある。かつて「茅淳御坊」「助松御坊」とも呼ばれ、天文11(1542)年三好長円の開基といわれ、阿波三好宗三の長男で幼名を「助松丸」と称した。長円は本願寺証如に帰依し、のち助松浜の地10町歩余を開墾し寺を創建、やがて周辺に村をなすに至ったといわれる。寺院は、浄土宗専称寺のほか浄土真宗本願寺派光秀寺、禅宗海蔵寺があった。海蔵寺は、和泉33ヶ所15番札所の寺院であったが、のち田中氏累代の墳墓牛滝塚域内に再建されるが明治に入り廃寺となる。神社は、助松神社と八幡神社(明治43年助松神社に合祀)がある。

地内には、元和末(1615)年ごろ大改修された紀州街道が通り、庄屋の田中家宅は「田中本陣」として紀州候の小休所を務め、現在も当時の面影を残している。

昭和46年7月には助松プールが完成、助松公園が整備される。また、昭和52年4月には、本市3番目の「小津中学校」が開設される。

「助松町1丁目~三丁目」は、昭和43年11月1日住居表示実施により新設される。

「助松町四丁目」は、平成13年11月4日住居表示実施により、助松公園内の臨海町・助松町1丁目~三丁目の一部から新設する。  

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