池浦町(いけうらちょう)

更新日:2023年08月01日

池浦村は、江戸期~明治22年の村名。明治22年合併、穴師村の大字となり、昭和6年大津町の大字、昭和17年泉大津市の大字となる。明治8年の戸数100戸、人口472人

当地一帯には、古くから、和泉国の由来となった府中の清水から流れる水を受ける灌漑用のため池が多く、地内には、泉穴師神社神宮寺「薬師寺」がある。薬師寺は宝亀年中(770~781)に小津の浦に漂着した薬師如来を本尊として創建され、歴代天皇の勅願寺となり七堂伽藍五重塔が建ち、その姿が穴師の池に映ったという。

地名は、この穴師池や要池に関係するものではないか。天正13年秀吉の根来攻めの際、薬師寺は兵火にあい衰退する。延宝8(1680)年薬師堂(穴師堂)が再建されるが、明治の神仏分離により廃寺となる。現在小学校東側に「穴師薬師堂」が建てられ、薬師如来や四天王像が安置されている。寺院は、浄土宗生福寺がある。

この寺跡に、明治5年6月21日 池浦、豊中、宮、長井、辻、板原、穴田、肥子、南曽根、北曽根、森、池上の12か村を通学区域として、泉大津最初の小学校「池浦小学」(現穴師小学校)が創立される。

「池浦町一丁目~五丁目」は、昭和51年5月1日住居表示実施により、虫取・我孫子・豊中・宮・下条の各一部を含め新設される。    

この記事に関するお問い合わせ先

都市づくり政策課
みなさまのご意見をお聞かせください
このページの内容は分かりやすかったですか
このページは見つけやすかったですか
このページに関してのご意見がありましたらご記入ください。

当フォームは、返信不可能のため、ご質問にはお答えすることができません。