高津町(たかつちょう)

昭和19年、宇多の一部を町名改称。宇多大津に属する。旧上之町は、上之町、戎町、高津町にわかれ、大津の高台に位置するところから「高津町」と名づけられた。

地内「字城の山」は、延宝5(1677)年の絵図にも紀州街道の山手に山林が多く占めている場所として描かれ、室町時代の藤林民部大輔、斉藤主膳正の居城跡といわれる。藤林民部大輔は、南北朝時代、大津に城を構え、楠木氏に属し各地に奮戦したという。

紀州街道から忠岡に至る橋を「楯並橋」という。明治14年紀州街道の国道指定に伴い改修、橋も石橋に改められた際名称も改める。平家が都落ちの際、平忠度は紀州に逃れるが、大津川で義仲勢と激戦となり、その子忠行は大津川の南堤に民家の戸板を並べて楯とし防戦するも討死する。この故事から「楯並橋」と名づけられる。忠行は、南側の丘上に葬られ「忠行の岡」と呼ばれ、いつしか「忠岡」というに至ったという。

 

 

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